『劇団朱雀9月公演』(浅草大勝館)

に行った.絶望した!ので人に電話をかけたりした.恩師が「ボクは下手なものが駄目で」と言っていたことの意味は,こういうことではないだろうかと思った.いや違うかも知れないけれど,思ったのは,つまり,下手なものを作って公にする人たちに絶望し,それを受け取って喜ぶ人たちに絶望するのではないか.自分が上手なものを知っていればいるほど,また人間の素晴らしさをそこに見出す人であればあるほど,下手なものはダメージだ.受け取って喜ぶだけならまだしも,それに対して愚かしい評論を弄したりするのに至っては,なんだか本当にどうしようもない気持ちにさせられる.恥も外聞もない書き方をすれば,それは孤独を痛感する場面なのである.それにしても自分は大衆演劇に何を期待していたのだろうかと反省するに,忸怩たる思いになる.きっと何か小劇場演劇やその他の芸能に回収されない,むき出しであったりしたたかであったりするエネルギーのようなもの,を期待していたのである.しかし実際に行って見てみれば,そんなものはアングラ演劇がすべて食い尽くしてしまったその後に,十五歳のアイドルが芬々たる屍臭をまき散らしている有様だ(素晴らしきはこのデカダン).写真は唯一踊りがよかった鈴花奈々さん.この人のおかげでやや救われた.