2005-11-01から1ヶ月間の記事一覧

『プーシキン美術館展』(東京都美術館)

に行った。すこぶる人が多かったので帰ろうかとも思ったがそこはぐっと踏みとどまる。なぜあんなに高齢者(と呼ぶにはちょっと若かった気もするが、少なく見積もっても初老と呼ぶのは構わないだろう)ばかり来ていたのだろうか。みなおおむねマナーが悪く、…

鼓動のプレゼント

アジアリーグアイスホッケー『コクド vs ノルディックバイキングス』(サントリー東伏見アイスアリーナ)

をタダ券を貰って観に行った。電車を降りたときなどは結構僻地に来てしまった感じがしたのだが、しかし会場に一歩足を踏み入れると文字通り空気が違うのでそれだけでわくわく。会場で配っている座布団を借りて、選手が控えるコーナーのすぐ後ろに陣取る(座…

Child In Time

ベルトルト・ブレヒト作『母・肝っ玉とその子供たち―三十年戦争年代記』(演出:栗山民也、翻訳:谷川道子、音楽:パウル・デッサウ、美術:松井るみ、衣装:ワダエミ、出演:大竹しのぶほか、新国立劇場中劇場)

の総舞台稽古を観に行った(どうでもいいけど総舞台稽古という言葉は「超合金」のような重みがあって素晴らしい。要するにGPなのだが。)。舞台はいきなりかっこよい。一角がピットのようになっていて、生演奏つき。というか歌いまくっていた。ミュージカル…

Jupiter Variation

I Fall In Love Too Easily

駒場祭のまとめ。 最初は狂言『口真似』。素直におかしかった。可笑しい。太郎冠者はさすが音程がよくて、あのコントロールされた節がおかしみの感情と不思議な関係にあるように思えて不思議だった。その後『スコット=ド・ワシュレー来日展』へ。展示品自体…

einander『WはOZの少女の夢を見るか』(作・演出:小池淳太郎、駒場小空間)

をゼミの後輩が主催しているということでゼミの先輩といっしょに観に行った。客入れをはじめとした制作面がつたないのはやむをえないとして目をつぶろう。観終わって一番気になったのは、ちゃんと一貫した物語構造を持っているのかということ。適当に書いて…

Se E Tarde Me Perdoa

トニ・モリスン 2001『青い眼がほしい』(大社淑子訳)早川epi文庫

読了。どうでもいいけどひたすら暗い。こんな感想は愚の骨頂と唾棄する価値もない本当にあいたーな感じだというのは百も承知で書くけれど、暗いよ。手法としては複数の語りが交代で現れ、それが第三者視点だったり登場人物の視点だったりして、視点の複数性…

Stuff Like That

青年団『砂と兵隊』(作・演出:平田オリザ、こまばアゴラ劇場)

を観に行った。会場に入るとセットが砂。縄で吊り下げられた巨大なシートの上に砂が盛られている。沢山。従来の砂漠の演劇では、演技で砂に足を取られるように見せるか、せいぜい砂を敷いておくくらいだったが、今回は砂丘の斜面を思わせる傾斜がつくほど大…

Baby Driver

新国立劇場『アンドレア・シェニエ』(作曲:ウンベルト・ジョルダーノ、演出・美術・照明:フィリップ・アルロー、テノール:カール・タナー、ソプラノ:ゲオルギーナ・ルカーチ、バリトン:セルゲイ・レイフェルクス、新国立劇場)

に行った。当日券狙いで開演三十分前に着いたのだが、安い席が意外なほど売れてしまっていて、結局かなり張り込むことになってしまった。全体的に演出が面白かったので、まぁそれなりに金額に見合ったよい席で観られたのはよかった。というわけで主に演出に…

襟裳岬

ヘミングウェイ 2003『日はまた昇る』(高見浩訳)新潮文庫

読了。1926年の作品。ブレットのような、ロスト・ジェネレーションにおける性的に奔放な女性のことはflappaerというらしい。ちなみにロスト・ジェネレーションというのはガートルード・スタインの発言"une generation perdu"の直訳であるとの事。perdreとい…

Rondo;K.485

佐藤郁哉 2002『フィールドワークの技法〜問いを育てる、仮説をきたえる』新曜社

読了。著者が「この本を読むと、当たり前のことばかり書いてあるように感じるかもしれません」と言っていたが、確かにそう感じた。しかし当たり前のことを踏まえないままにフィールドワークをするというのは逆に言えば大変恐ろしいことでもあるわけであるか…

わがまま勝手なメッセージ