劇団地上3mm『グロツキー!』(作・演出:川口典成、theatre iwato)

を観に行った。実はこの日、夜の薪能が雨天中止になったせいで、マチネとソワレを連続して観るという荒業をやらかしてしまったのだが、まぁそれはいい。問題なのは、前にもどこかに書いたが、感想やらなんやらを人と話してしまうと、話したそばから忘れていくということである。昨日から今日にかけてかなり色々話してしまったので、ほとんど忘れた。この現象はフロイト先生の御説にもかなっているので、というか、とにかく本当に話したことは忘れる。とまれ、テクニカルなことは抜きにして、理念の話をすれば、演劇が持つ摩訶不思議な爆発力、圧倒的な情動を喚起する力、きわめて未分節なその力を追求するならば、確信が必要だ。100%センスで確信する人がいるとすれば、その人は天才と呼ばれてよいかもしれない(あまりそう呼びたくはないが)し、100%分析によって確信する人がいればその人はやはり天才かもしれない。その二つの理念型の配分のパターンとして、確信を求めるべきだ。構造を分析し、それを把握すればするほど確信には近づくはずだが、必ずしも最後まで分析を推し進める必要はないし、どこまで分析の力に頼ってどこからセンスに頼るかは人それぞれでよい。さらに言えば、100%の確信でなくてもよい。確信が100%に近づけば近づくほど行動しやすくはなるが、しかし行動するのに確信など一ミリも必要ではない。行動も必要ない。人間は犬に喰われるほど自由だからだ。犬は関係ない。