Psathas, G., 1995, Conversation Analysis, California: Sage.(=1998,北澤裕・小松栄一訳『会話分析の手法』マルジュ社)

読了。なかなかよい本であった。ところで前々から気になっているのは、文献挙示時に出版社の所在都市名を書くのはなぜかということだ。問い合わせとか取り寄せに必要なのかしらん。「〜かしらん」と言えば、何はおいてもドラえもんで、「どらえもん」と入力するとちゃんと「ドラえもん」と変換されるのが多少いらっとする(そのくせ差別語の匂いが少しでもするものとかは変換されない。MS-IMEではなくてAtokを使おう!一太郎を買うとついてくるぞ)ものの、そう、ドラえもんが嫌いだ。ドラえもん大好きと言うひとには会ったことがあっても、嫌いと言うひとには会ったことがない。のびたがすぐ道具に助けてもらうからとかそんな理由とは別の理由で、実存的ではないからだ。結局実存とか、よりよい生とか、そういうことが大事なのであって自分は、気づいたら考えがそっちを向いているのはちょっと可笑しい。それで会話分析なんてことをやって、実存主義的な思考とか一般倫理学的な思考とかの遍在を示そうと思ったりしている(それが示せれば、実存的でなかったり倫理的でなかったりする言動に対して、欺瞞だ、と言える、というロジックだ。そんなことは欺瞞だ、およしなさい、もっとまじめに、と言うためだ。物分りのいい相対主義ファック!と言うためだ。)のだが、それはわりと、すごく、徒労だ。徒労なので、徒労を突き抜けて、どこかに行けないものかと、そんなことを考えてみるが、まぁなかなか突き抜けられるものでもない。そんな先のことを考えても仕方がないと言えば仕方がない。この基礎付け主義的早上がりよ。