ひょっとこ乱舞『でも時々動いてるわ』(作・演出:広田淳一、出演:伊藤沙保ほか、こまばアゴラ劇場)

を観に行った。踊りは良かった。良かった、と言っても、踊りとして評価すべきというよりは、「みんなもっと踊ったらいいのに」と常日頃から思っている身としてはなかなか理想的なダンスであった。あんな感じでみんなどんどん踊ったらいい。最後の曲は小島麻由美に聴こえたけど知らない曲なのでだれか知ってたら教えてください。しかし演劇としてはどうしようもなく稚拙なところが多々あった。それを最初は何か90年代的な感じという風に受け取っていたのだけれど、どうも違うような気もして、本当は単純に現在進行形の話なのではないか。リアリティ自体がどうしようもなく稚拙なのではないか。作者のリアリティもそうだが、しかしそれは別に作者だけがそうなのではなくて、ああいった稚拙さというのは汎的な現象なのである。場所柄、特に駒場時代を思い出した。自分の感情や思考に対して言葉を変な風に挿し込んで、その変な風な言葉でもって自らを規定する、その言葉と思考の傾きが、どうしようもなく稚拙だ。どうも傍から見ていると、「おい、お前が思ってるのはそんなことじゃあないはずだぜ。そんな言葉はお前のためにしかならないようだな。この裏切り者の嘘つき野郎が」と思わず思ってしまうような言葉をまじめに使ったりしていて、そのうちその言葉に自分をなじませてしまう。まぁでもそういう稚拙な感じというのは学生とか小賢しい人々に特有の印象である。もっとたくましくしたたかな人々というのがいるが、これが小賢しい奴らより優れているかと言うと、どうもそんなことでもないようだが。