ツァイ・ミンリャン監督 2005『西瓜』(出演:チェン・シャンチー/リー・カンション/夜桜すももほか、台湾、カラー)

を観た。渋谷イメージフォーラム。めちゃくちゃよかったとか大好きってわけでもなかったがまぁ良い映画だった。それにしてもカメラが動かない。ので写真的な印象を受ける。構図なのだ。人物をパンで追うことすらしないので、視線がつんのめる。しかしそのような映像の語法に感銘を受けたかといえば別にそこまででもない。あとミュージカルのシーンはあまり楽しくない。異化効果としても弱いように感じたし、なんだか不思議な存在感のなさだ。ラストは別に衝撃とか何とかそんなことは思わなかったけど、自分(あるいは自分たち)のしていることはこんなものなのだ、ということを思って、それは暗澹とした気持になるようなそれでいて「こんなもの」であることを許されているような気持になる。これこそがリアリズムというものが持つ効用のひとつである相対化ということだ(映画全体はリアリズムでもないが)。性愛という日本語について考えた。いつだって思考や言葉は過剰であり過小である、みたいなことはいかにもポストモダンが言いそうなパラドキシカルな記述だが(それでいてアホかってくらい単純な記述だ。アホか。)、セックスに関してはこれは本当にその通りだ。余剰がやけに多いわりには肝心なときにものすごい勢いで後退していく。だからそれは分かりきっているので別にどうでもよくて、その結果生まれる諸現実とどうディールするかが問題なのだ。この映画はといえばその分かりきっているレベルのことを、ある描き方で描いているのである。