POTALIVE 駒場東大前編 vol.1『ミカタ/museum』(作・演出:岸井大輔,出演:木室陽一ほか,京王帝都電鉄井の頭線駒場東大前駅西口改札前14時待ち合わせ)

を観に行った.しかし,ポタライブにおいてはこの「観に行った」という記述自体が問題になる可能性があり,他に自分が使う書き方では「観た」「行った」などがあるが,まぁ,どうだろう.前日の山賀ざくろ同様,二千円で,ちょっと高いなこれは.というのも,劇的感興,とは限定しないものの,まぁ広い意味での感興が,木室陽一の踊りのなかにしか感じられなかったからだ.この木室陽一の踊りは,まぁ路上パフォーマンスというか,そう言ってしまえばそれまでかも知れないわけだが,それにしても良かった.しかし,その土地を歩きながら語る,まるで郷土資料館のような「ストーリー」には,感興はなかった.サイドを固め,同時に適度に攪乱するはずのギミックも同様だ.他の観客やただの通行人,またひいては自分自身が役者に見えてくる,街が書き割りに見えてくる,というような異化も,さして面白くはない.ただ,そのような「状況」にまるまる飲み込まれていく自分以外の観客を見るのは多少スリリングではあったが,しかしそんなものは見たくないし,そんな偽悪的な見方をさせられても困る.「観客席と舞台という硬直した制度的状況に疑義を呈する」というようなことを,現在,どこのどいつがどの程度まで本気で考えているのか,いつも考えてしまう.自分は客いじりが嫌いだが,しかし客いじりは依然として存在し続けているし,ポタライブなんてある意味究極の客いじりではないか.あるいは,「劇場という硬直した制度的状況に疑義」でも何でもいいが,あいにく,「劇場」の外部は,ちょっと手に負えないほど手強い.そのリアリティという意味でも,同時に虚構性という意味でも,「劇場」の外部は,まさに至高だ.それに拮抗することは,ちょっと出来そうにもない.ストリートパフォーマンスのたぐいは,あれは「劇場」の外部に出張劇場を作っているだけなので,別にはなから拮抗など出来ようはずもないままごとである.その点ポタライブはままごとまで行き着くことなく押しつぶされてしまっているのではないか.もっとも,多少ぼーっとした人たちに対して異化の風を吹き込むくらいのことが目標なのであったら,まぁやってることは間違っていないのかも知れないが.結局,このポタライブという形式の持つ理念は,境界の融解,相互浸透みたいなことに終始するのだろうか.