ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団『「カフェ・ミュラー」「春の祭典」』(国立劇場大劇場)

を観に行った。同行者と待ち合わせる約束をしていた会場前に到着すると、彼女は誰かと話していて、まぁこの誰かというのが実は山本耀司さんだったのだが、とにかくこちらはヨウジさんの顔を知らなかったのであとで聞くまで分からなくて全く自分の不明を恥じるばかりだが、あぁ道理で別れ際に握手とかしてたわけだと思ったりもしたんだけれど、そんなことはどうでもよくて、むしろ何で君はヨウジさんとお話してるの、だって神じゃん、僕にはとても出来ない(人を神格化したり天才視したりすることをいかに日ごろ毛嫌いしていても、いざとなればこんなものかもしれない)、ぎゃー、つい最近手に入れたヨウジさんとこのジャケット着て来ればよかった、今日はちょっと涼しかったからJUNMENの革ジャケットにしちゃったよ、あー、うわー、うわー。・・・という感じでピナ・バウシュの公演を観に来る客層を早くも予感させる事件があったが、他にもいろんな有名人が来ていたし、何かもうおめでたい感じだった。それぞれ問題作と名作との誉れ高い作品のカップリングで、みな安心しきって絶賛する準備をしているかのようである。まぁそんなことはともかく作品の方は、まず国立劇場という会場の特性(極端に横長の舞台間口だが奥まですとんと見えてしまう)から、特別演出ということで、見たことない透明のアクリル板を使っていた。かの有名な壁に叩きつけるシークエンスは、壁ではなくアクリル板を使う演出になっていた。もうひとつかの有名な、<お互いのからだに腕を回して抱き合っている男女を、もう一人別の男が二人の腕をはずして男に女を抱えさせる。しかし女は男の腕からずり落ちてしまい、すばやく再び抱き合う。最初に戻り、このシークエンスを繰り返す>ところで、観客からかすかな笑いが起こり、<もう一人の男>が去って二人だけでこのシークエンスを高速度で繰り返し続けるシーンになって、どっと笑いが起こった。このことについて的確な意見を言語化することは凄く難しい気がするが、とにかく気持ち悪かった。ピナ・バウシュの十八番である反復強迫が笑われてしまう(北田暁大に倣ってここですかさず「嗤われてしまう」と書いてみてもそんなに問題の核心に迫れない気がする)という状況は、何か示唆的であるように感じるが、どうもうまく解きほぐせない。まぁそんなことはともかく、「カフェ・ミュラー」はやはり凄まじかった。あれだけの強度を持って「絶望」を表象できるのは、やはり、という感じであった。さて、舞台に砂が敷き詰められていることで有名な「春の祭典」の方は、正直に言って、序盤は「あぁ、やはりこの音楽の圧倒的な完成度の前ではダンスは無力だな、ふふん」とか思ってしまった。が、大変な早とちりであった。大変だった。大変な舞台であった。観に行ってよかった。ピナ・バウシュが「春の祭典」という音楽をものすごくよく理解しているか、自分の「春祭」理解にピナ・バウシュの理解が極めて近いのか、まぁどちらでもないのだろうというか、「魔法使いの弟子」とミッキー以上の関係であった。大変だ。