珍しいキノコ舞踊団『3mmくらいズレてる部屋』(構成・振付・演出:伊藤千枝,美術:ジャスティン・カレオ,鎌倉芸術館)

を観に行った。はるばる大船まで。ずっと気になっていたのは、ピナ・バウシュに関して、「どうして感動するのだかわからないが、記憶の中の何か、抑圧されていた何か、が解放されて、本人もなぜだか分からないままにただ泣いてしまう」という話を聞いたことである。それは自分がダンスに対して抱いている感覚とすごく近い。よくぞ言ってくれた、その通り!という感じだ。これはある意味では限りなく自己憐憫に近いわけだが、その自己憐憫にはどうにも言語が透けて見えてこない。物語が見えてこないのである。観客との間に非言語的なそのような交感関係が成立するダンスというメディアは、おそらく象徴というタイプの記号にもっとも近いが確実にそれとは異なるものである。近接性によるメタファーのあり方に似ているようでいて、どうもそればかりではない。と、それで何が言いたいかというと、珍しいキノコが喚起する感情というのは、幸福感なのである。それも、おそらくは、子供の頃の半恒常的な多幸感だ。ピナが標的とするような被抑圧項は、明らかに悲劇的なものである。それに対してキノコは、抑圧された子供の頃の喜劇に似ているのである。キノコを見ていて、ふと体に風が吹き込むような感覚を覚えるのも、その不可逆性が郷愁に近いからだ。