Nibroll『no direction。』(振付:矢内原美邦,映像:高橋啓祐,衣装:矢内原充志,パナソニックセンター東京有明スタジオ)

に行った.いきなり冒頭から,アングラ演劇の現代的翻案を見ているような感覚で,おそらくそれはその時代その時代における「正しい舞台」のあり方なのである.無茶な感じのエネルギーと全体性への志向,不可能なことなんてないぜ具合など,一般的に舞台というものの現前性を考えたときに,これは極めて正しい.およそ舞台にはあらゆるものが乗っかるのであって,言語,身体,音楽,映像,衣装,美術,照明のすべてに意識が行き届かないようで何の舞台か,何の総合芸術か.これは往年のアングラ演劇について思い返すだにやはり妥当性のある視点であるとは思うのだが,ニブロールにおいてもそのような総合性は顕著に表れていて,特に身体,映像,衣装の突出の仕方が激しい.この三つの要素が三つながら突出することにニブロールの特質があり,現代における特異性がある.アングラにおいて突出したのは言語や美術などで,時代との対応は明白だ.これは一時的にダムタイプ(身体と映像の突出)が引き受けた領域であり,山本寛斎(衣装の突出)が引き受け損なっている領域であると思われ,そのような領域を,時代時代における「正しい舞台」と呼ぶとすれば,その「正しい舞台」に集まるのは,その時代時代における「正しい観客」なのである.「正しい観客」はおおむねいけすかないものであるが,しかしおそらく時代ごとの言論をリードし,美的感覚を構成するだろう.時代に激しく規定されると同時に,時代を強く規定する存在として,「正しい舞台」と「正しい観客」はある.この規定被規定の具合が,いけすかなさの源泉でもあるのである.