新国立劇場『エンジョイ』(作・演出:岡田利規、新国立劇場小劇場)

を観に行った。実は観る前から宮沢章夫が「富士日記2」に書いた文章を読んでしまっていた。これはチェルフィッチュ(とは言っても『エンジョイ』のチラシには一度もチェルフィッチュの名前は出てこない。新国立劇場の主催公演だからである)、ポツドール青年団それぞれの12月の公演について書かれたものだが、大変興味深くまた共感できる。そしてそこに書いてあった通り、確かに今回の『エンジョイ』にはグルーヴが欠けていたと思うのだ。チェルフィッチュを観て最初に感じた高揚感はまさにグルーヴと呼ぶに相応しいものであったし、それ以後もチェルフィッチュの面白さはその手法のうまさなどよりはやはり観たときに感じるグルーヴ感にこそ根拠があったと思う。今回それでもグルーヴしていたのは唯一リラックマの女の子(と呼ぶべきではないだろうか。そうでもないか。どうか。)だけではないか。次に良かったのはそのカレシで、そうなると今回は元気のよい感じの人ほど魅力的だったということになる。もしそうだとすれば、やはりハコの大きさが気になってくる。もしかしてチェルフィッチュは大きいハコでは無理なんじゃないだろうか。もちろんその問題点に対してはマイクを非常に巧みに使うなどして対処していたと思うのだが、しかしそれでも覆いきれないものがあったのではないか。またそれとは別に、始まってすぐに何だかせりふに違和感があって、どうもセルフパロディ感というか、言葉に対して、「あれーこれって自分にも書けるんじゃないか」と感じたのだった。それが脚本の言葉によるものなのか役者の演技によるものなのかは判然としないが、何かがそこではまずいことになっていた。『エンジョイ』という作品全体の中には本当に巧いギミックが沢山あったと思うのだが、何かがまずかったのだ。まぁそれでも絶対に観に行くべき作品ではあった。それにしてもネット上の『エンジョイ』劇評はずいぶんとたくさんある。分析誘発性という懐かしい言葉を思い出した。