テイラー・ハックフォード監督,2004,『Ray レイ』(出演:ジェイミー・フォックスほか、アメリカ、カラー)

をDVDで観た。音楽だけは素晴らしい。と言うのさえもはばかられる。というか、それこそがはばかられる。まぁ映画自体は終わり方とか本当にひどい、と言うと口が汚れるから言うのもいやだわ、というくらいのものだが、そういう映画に対して「音楽はよい」と言うのは、いったいどうなんだ。映画や演劇において、音楽は常に救われた存在というか、事前に救われてしまっている気がする。映画の中の音楽、とは言っても映画の内部にあるのか外部にあるのかよく分からないが、とにかく、映画の中の音楽というのは、音楽を単体で聴くこと(という状態をひとまず想定するとして)とは凄く違うのか、まったく違わないのか、そもそもこの区別がおかしいのか。単体で聴くとは言っても、それはCDプレーヤーとスピーカーまたはヘッドフォンなどによる聴取のまたひとつのパターンであって、それを「純粋に音楽だけ聴く」と表現することもないだろう。その瞬間に聴覚だけが抽出されるような体験がないわけではないが、それは凄く稀なことだ。プルーストは頭から尾っぽの先まであんこが詰まっているという感じでけちのつけようがないと思ってきたが、思い返してみると実は音楽の話はよく分からなくて、あの聴取というか音楽体験の感覚は自分の実感にはそぐわない。気がする。そう、早くも記憶があやふやなので早く全訳を読みたい。