『ONJO』(新宿ピットイン)

に行った.フルメンバーの夜の部.初めてONJOを聴いた厚生年金会館以来,初めて,よく分からなかった.今までONJOは(もっとも音源で聴く限りはONJQのときからそうだが)漠然と音響エモだなーと思って聴いていて,あるいはそれは歌謡曲ジャズとかジャズ演歌とかいう風に言い換えられるかも知れないけれど(もちろんこれはONJOを理解するためのひとつのキャッチフレーズであって,それが捨象する部分の大きさや捨象することの罪深さについては認めざるを得ないが,とは言えこのキャッチフレーズが理解に貢献する度合いは小さくないとも思う),今回のONJOはそのエモ要素なり歌謡曲,演歌要素なりが排除されていたのだった.ひとつは「ユリイカ」のような明白なエモと,もうひとつは音の塊としてのノイズの中に生まれる叙情と,二種類の感興が,排除されていると思ったのだった.そして,実験性のあり方がフリージャズから現代音楽の方へ,ゆるやかに移行していると感じた.大友良英自身が何度も「新しいONJO」と繰り返しているとおり,今までとは確実に違った形になっていたが,しかしその新しい形の受け取り方というか端的に「聴き方」が分からなかったのだった.前半と後半の間の休憩中に客席に流れていた空気は,「分からないものを喜ぶ」という感じであったように思う.単純に自分が変化するONJOについて行けてないだけなのか,それともONJOの方が過渡期で不定形だっただけなのか,それはよく分からないが,ともかく,今までのONJOで常に得られた感興が得られず,ただ,よく分からなかった.しかし,いっしょに行った友人が言うように,座って聴いたらまた違っただろうなとは思う.あれは,もはや,立って聴く音楽ではないのではないか.演奏者の配置は変わったが,客の身体性というか身体配置は,変わっていなかったのだった.