『喜多流能楽 第4回條風会』(十四世喜多六平太記念能楽堂)

に行った。実はお能は初めてであった。最初の仕舞ふたつは友枝雄人『楊貴妃』と狩野了一『阿漕』、能一曲目は『三輪』(シテ金子敬一郎)、狂言は『萩大名』(シテ山本則重)、休憩あけの仕舞は塩津哲生『歌占』、二曲目の能は『船弁慶真之伝』(シテ内田成信、大鼓國川純、笛一噌幸弘、地頭友枝昭世)。とにかく、能は踊りというより舞いであること、語るというより歌うものであること、詞章は演劇の脚本というよりあるテーマ系を提示するものであること、などを再確認した。お囃子は何となくガムランぽいと思ったのだった。とにかくあの掛け声とリズムと音色は大好きだ。一噌幸弘ははてなキーワードになっていないのか。彼の能管は西洋古典音楽のパラダイムにおいては技術的に非常に評価すべきだと思うが、そこを離れるとどうかというとちょっと留保をつけねばなるまいと思う。山本の狂言は非常にきっちりかっちりしていて、先日観た茂山とはまったく違い、好感が持てた。しかしもう少しやわらかくても良いようにも思う。それにしても、舞いの良し悪しが感覚のレベルでまだ判然としない。開拓すべき分野。観能記というのはどう書いたらいいのかまったく分からないのでとにかくこのくらいにしておく。また何か観に行きたい。