『友達』(作:安部公房,演出:岡田利規,出演:小林十市・麿赤兒・若松武史ほか,三軒茶屋シアタートラム)

を観に行った.とにかく,戯曲の力と,あとは麿赤兒若松武史が同じ舞台に乗ってることの凄さ,に圧倒された.演出も,戯曲の持つ恐ろしさがストレートに伝わるもので,よかったのだろうと思う.そうか,こういうことも出来るのか,と思った.しかしこの戯曲の恐ろしさたるや,ラストに至っては恋愛(かそれに類すること)までもがその恐ろしさの中に取り込まれていき,大変に恐ろしい.でも,女性の扱いがぞんざいなので,そこまでおののかなかった.もし演出によってその女性の扱いのぞんざいさが丁寧に取り繕われていたりしたら,目も当てられないホラーになっただろう.
いつだって,恐ろしいのは,生身の,むき出しの女性であって,フィクションにやられちゃっているミス・ブランニュー・デイの陳腐な「アイデンティティ」には,哀れと苛立ちしか催させる力はないのであるから,いいから黙って衝撃のグロテスクを突きつけてくれ.人間に「むき出し」なんていうものはなくて,どこまで剥いていったって,これ以上剥けない核coreが出てくるわけではない,タマネギと一緒だ,なんて言う奴は,きっとタマネギの皮と本体の質的相違も分からないってことだから,黙ってカレーでも作るといい.タマネギには,外側の皮と,食べられる部分の,混ざってるような層もあるってことを学ぶのも,また,一興だろう.