太宰治,1950,『斜陽』新潮社

読了.と,今は三島由紀夫の『小説家の休暇』を読んでいて,いきなり太宰が悪し様に書かれていた.何となく思っていた内容が明晰な言葉を与えられたような気分で,納得したが,とは言え,太宰が本当にそこまでしょうもないかどうかはいまいち判断しかねる部分もある.だいいちこの作品はたいへん気持ち悪くて楽しかった!しかし,読みながらぼんやりと危惧したのは,この小説によってつまらない自意識と役割モデルrole modelと自己正当化を身につけた人は,そんなに少なくないだろうということだ.何なんだろうなー,つまらないあれやこれや.しかしそれもこれも,決して悪いことなどではないのだろう.つまらなさは善悪よりも美醜に近い問題であるのかも知れない.陳腐な自意識にうんざりするのは,何か醜さと近い感覚で,と書いたところで,しかし醜さについていま我々は何も知らないようにも思える.醜い何か,を容易には想像できない.想像しようとすれば真っ先に出てくるのは人間性の醜さについてであり,それはやはり陳腐さとさして変わらない気がする.生きているのに生きていない感じが,腐臭を発する醜悪さと感じられるのは,何だか大変なことだ.そこに感じるべきものは何か別のことであって,ただうんざりしているだけでは,これは大変だ.となると,陳腐さは相手の問題ではなく,自分の問題なのか.それはまた大変だ.