Kafka, F., DAS SCHLOSS, SCHOKEN BOOKS.(=辻瑆・中野孝次・萩原芳昭訳,1953,『カフカ全集I 城』新潮社)

読了.カフカはよく分からないと言い続けて幾星霜,おかげさまでよく分かるようになりました.寓話的であったりとか,何か「っぽさ」だけの子供だましであるようなものを毛嫌いしているので自分にはよく分からなかったのだろうけれど,カフカは一見リアリズムから遠い所にいるように思えて,その実,精神や感情やまぁ内面といったようなものの内に生起する諸々に関しては,読書体験として全くもってリアリズムと感じられるような,迫真の描写を行おうと挑んでいるのである.我々が人生や世界といったことに対して抱く諸々が,それが追体験されるように,カフカの作品においては全くもってそれらしく描かれている,ということは,id:confusion(http://d.hatena.ne.jp/confusion/20071003)にある通りであり,先日の世田谷パブリックシアターで上演された『審判』によってもそれはよく分かった.しかし,それは何も世界の構造を抽象化して回転を加えて小説の文章に再プロットする,というような,いわば「完全にtransformされた経験」といったようなものではなく,何かしらの魔法が加えられている点が,いわく言い難い部分である.ただ,いったい,それが「らしく」ある対象がいったい何なのか,つまり,いったい「何らしい」のか,ということについて我々が感性と知性の限りを尽くさないとすれば,子供だましにだまされる子どもと変わらない状態になってしまう.それは,最終的に「何らしい」のかが決定できない事柄のことだとしても,である.