劇団地上3mm『1983年、東京ミッキー』(作・演出:川口典成,阿佐ヶ谷アルスノーヴァ)

を観た.前半わりと面白い雰囲気になっていくところがあったように思ったが,後半失速したか.その前半の面白さというのは,劇構造がスッと差し替わっていくことが続くシークエンスで,そのあわいに,どのレベルの構造に依拠して劇を受容したらいいのか微妙になるほんの短い瞬間があった.そしてそこには情感があったと思うのである.これは役者のうまくなさ加減を逆手に取った戦略と,深読み,することもできるだろう.そしてそれは単なるナラティブとメタナラティブなどではなく,その皮膜にある,境界を行き来する面白さであった.しかしどうにもそれは後半では全くみられなかったことであって,そう,後半では劇は劇構造のなかに埋没していってしまったのだった.そもそもこの微妙な感覚などは作者の意図するところではなかったのかも知れないので(さらに,意図などどうでも良いのかも知れないが),問題なのは「時代」を消化することの難しさである.「時代」を消化することに関しては,劇作家,小説家,文学研究者,歴史家,哲学者,まぁ要するに誰でも,が各々のフィールドで各々の向き合い方で向き合う際につきまとう困難という意味では変わるところがない.それはモンタージュ的に時代のキーワードを並べて年号の符合に興がるだけでは到底成功したとは言えないのである.と,ひたすら真面目に考えてみたものの,気になるのはチラシにもある「似非ポップ」の「似非」だ.まぁなんかよくわからないので,やはり見終わってから人と話をしないのは問題だ.I need your help.って感じだ.というわけで,もう少し寝かせてみる.