Dostoevskiy, F.M., 1866, Prestuplenie i nakazanie.(=1928,中村白葉訳『罪と罰 第二巻』岩波書店)

読了.徐々に面白い部分がちらほらと.あけすけな人間の描写とかは,やはり,やはり.たとえば登場人物の1人は,貧乏だけど教養ある美しい娘をずっと探していて,それをとうとう見つけて我がものにしようとする.彼は金持ちで,娘を苦境から救い出してやることによって,教育もありまた美しくもある彼女から一生涯奴隷が主人にするような物理的・精神的奉仕を受けようと企むのである.彼女は彼に跪くことだろう!誰しもが,自分の持つ何らかの資源によって,非常に限定的にではあれ奴隷のような奉仕を望むものであるかもしれず,そのあたりのあけすけさ加減は大変素晴らしい.自分の長所を自覚し,相手に何かを求める,という表現であれば非常にニュートラルだが,その実その心の動きはこの登場人物と大差ないかも知れず,そしてそれはおそらくオーケーだ.跪拝なくして何の恋愛か.