今敏監督,2002,『千年女優』(出演:荘司美代子 / 小山茉美 / 折笠富美子ほか、日本、カラー)

をDVDで観た。うむー。途中走りまくるシーンがモンタージュまくりで色々なイメージがぶつかるようになっていてそこは評価できるシークエンスかなと思ったら弟は不同意だった。うむー。ラストの「〜している私が好きだから」という独白には違和を感じる向きも多いのではなかろうかと思っていたら、とあるサイトで「あの独白は時系列的に最後に言われたものではない」と書いてあって、へー、と思ったのだが、しかしこれに違和を感じてしまう自意識というのもなぁと思いもした。「結局〜している自分が好きなんでしょ?」「そうです。悪いか!」という屈折したあり方(とは言っても一回折れ曲がっているだけなのである意味まっすぐだ)でなくても、どんどん自分を好きになってよい。まぁもっと言えば、別に好きになったり嫌いになったりしなくても良いと思うのだけれど、一度好きになったり嫌いになったりしてしまったら仕方がない、のだろうか。自分自身をそういう対象として言語化できるというのは本当に不思議だ(共感できない)。それはやはりカテゴリーミステイクであり、言語化の仕方を間違えているのではないだろうか。あ、いや、そんなことはない。断じてそんなことはないな。ちゃんと自分を好きになったり嫌いになったり出来るのだろう。そこの違いが、オナニストと非オナニスト(って何て呼べばいいんだ)を分けるのだろう。これは高尚な話をしているのである、と書こうと思ったが、まぁ高尚であり卑近でもありまた形而上でもあり形而下でもあるのでどちらでもよい。コミュニケーション至上主義者であるところの非オナニストは、ただそれだけの独立した存在として自分を好きになったり嫌いになったりは出来ない。