ベネット・ミラー監督,2006,『カポーティ』(出演:フィリップ・シーモア・ホフマンほか、アメリカ=カナダ、カラー)

を観に行った。恵比寿ガーデンシネマ。予告編で、ちょっと面白そうかな、と思ったからだが、でも実はわざわざ映画館まで行くほどのものではないことは勘で分かりきっていたのである。しかしなんだ、やりたいことがいまいち分からないというか、方向性がはっきりしない。それはいいことなのか悪いことなのか。カポーティをどういう人物として描いているのか、結局それはぶれているというか、わざと定めていないのか(ちなみに途中寝てしまったのでそこに重大なシーンがあったのかもしれない)。あとはなんだか編集というかカット割りというかがものすごく荒いというか粗いというか、雑、荒々しい、まぁよく分からないけれどそう感じて、でも今までそんなことを思ったことはなかったのであれが普通なのかも知れず、映画のテクニカルな面に詳しい人に聞いてみよう。それで、そういうことと関係ないようなあるような感じで、例えば、ごめんなさいと謝ることのファックさについて考えた。それは謝ることで許してもらおうとすることであり、それ以後の関係をさも何の過失もなかったかのようにre-designしようとすることだ。過失に対して謝罪という対価を払って、借金のないからだになろうとすることだ。まぁ少なくともそうなりがちだ(とは言っても大抵は実際そうなってると思う)。だからそのごめんなさいの中に罪悪の感情が含まれているとすれば、それは「免罪されたい」という要素が強くて、そういえば「ご免なさい」という言葉はそういう言葉なのであった。漫画で言うと「カイジ」の鉄骨渡りと「リアル」に似た話が出てくるが。謝るな!