ヤスミン・ゴデール振付『ストロベリークリームと火薬』(にしすがも創造舎特設劇場)

を観に行った。あんまり面白くなかった!というか出てきたダンサーたちのからだのゆるみ具合にまずびっくり。始まってみるとかなりしっかり踊っているのに、どうして逆にあのようなたるんだからだを維持できるのかが不思議であった。イスラエルのコンテンポラリーということで、もうそんなことは本当にどうでもよく、アフタートークでヤスミン自身も「これはあくまで写真をダンスにしたものだ」とくどいぐらい繰り返していた。「あくまで写真なのだ」という強調は、写真と現実との対応の如何にはコミットしないというくらいの含意だと思うが、であればなおさらイスラエルを取り巻く混乱とその悲惨、politicsとpower、というようなことを安易に読み込むのはまさに危険。ではないのかな。わからん。おそらく観客はダンサーの悲痛な表情なりねじれたからだなりひきつった笑いなりにそれなりの文脈情報を補填して痛ましい共感を得るのだろうが、そのような「見世物」に対する態度でそういう共感という快楽をむさぼるに任せていいものだろうか、という疑問は残る。イスラエルの現実、というようなものが仮にあるとすれば、それはこういったダンスでの表象によって安直な共感からコミットすべきものでは決してないはずだろう。そのような消費形態を自覚した上での感動(それを「消費」と自覚した上で)なのか?おぉ、その感情移入よ。これを絶賛するというのは正直言ってよくわからん。しかしまぁ話は変わって、死体の表象にはかなりの程度まで成功していると思った。あと生演奏の音楽はよかった。