『友枝会』(国立能楽堂)

に行った.能「橋弁慶」(友枝雄人),狂言「清水」(野村萬),能「半蔀」(友枝昭世),能「道成寺」(井上真也)という,フルボリュームのラインナップであった.特筆すべきは,道成寺の乱拍子は,15秒に一度だけ小鼓が打たれてシテがほんの少しだけ動く,というのを何分か続けるのだけれど,その15秒間は無音で,動きも全くない.のだけれど,この日は本当に静かにユリイカ!という感じだったのは,何もしない15秒があったからこそだと思うのだけれど,シテの呼気が面に当たる音が聞こえて,その音から呼吸のリズムが分かり,その息遣いから,シテのからだの筋肉が見えたのだった.だから「動きも全くない」というのは皮相浅薄この上ない描き方である.だからこの乱拍子に際しては,舞台から落ちてしまった能役者が舞台に這い上がるのを見て以来,その息遣いと筋肉の動きを感じとることが出来るようになった,という文章をずっと反芻していた(http://d.hatena.ne.jp/ionlylovetwice/20070305).今日は実は役得でとある公表前の文章を読んで,そこにも「能のからだは止まりながら動いている」と書かれていたのを,この文章を書きながら思いだした.逆に道成寺に自分が見たのは,動きながら止まっているからだであったのだ.呼吸のリズムを感得することは,その分節化の働きによって視覚にも数倍の解像度を与えるのであって,これは言語の獲得にも比肩することであると思った.呼気が面に当たる音は極めて微かなものだったけれど,そのか細い逢い引きの道を見つけた.自分でかした.さすが.と,こんな感懐を抱きながら終演後はすぐに,