『第二回日経能楽鑑賞会』(国立能楽堂)

に行った.狂言「隠狸」(野村万作)と能「松風」(友枝昭世).狂言の方は,観て,形式や型というのは安定感のことなのだろうと思った.能は,別離した恋人の衣服を身につける話で,といえば真っ先に思い出すのは「井筒」だが,これは話としてはあんまりな話である.身も蓋もないではないか.あなたも,あなたが恋人の服を借りて身につけて(或いは,あなたの服をあなたの恋人が借りて身につけて)この上もなく無邪気に喜んでみせたのを思い出すだろう,それがそのまま舞台上で再現される.しかしその感覚はどこか抽象化されているのである.ここのところどろどろした怒りに煮えくりかえっている自分からすれば,そこは悲しむ所じゃなくて怒る所だろう!あの人はあなたを捨てたのだ,あたかも邪魔で不要なものを廃棄するように!と思いもするが,しかし,怒りは注意深く回避されている.あるいは,かつての恋人の衣服を眺め匂いを嗅ぎ頬を寄せれば,もはや涙しか出てこないものかも知れない.そこにあるのはいまだに執拗に美しい感覚の記憶であって,それは怒りには回収されないからだ.