星野智幸,2005,『最後の吐息』河出書房新社

読了.素晴らしかった.良い小説だったので,何を書けばいいのか分からないが,ひとつは単純に,まだ触覚も嗅覚も味覚も残っていたと言うことであり,かつ聴覚と視覚についてもそこにあるのは鮮やかさである.その鮮やかさは,森の中にある家がお菓子で出来ているというような,おとぎ話の鮮やかさではあるものの,しかし我々のなかのいったいどれだけが,かつての恋人たちの匂いや味や皮膚の肌理について,それぞれに誰がどのように違ったかを,覚えているかと言えばいや決して判然とは記憶されてなどいないのであって,それは,もはや,「かつての恋人たち」,という集合名詞としての存在に過ぎないことは(あるいはその感覚は),ほとんどおとぎ話のようである.このように「五感」というカテゴライズに従うことの効用は,「視覚優位の近代」というようなクリシェに対抗することくらいかも知れないが,その一方で,本来なら「思考」や「理性」の方にカテゴライズされるはずのどちらかといえば知的で判別的で判断的な現象についてもその官能性に気づくことであるかも知れず,たとえば「一体感」などはかつて一度も「五感」には含まれたことのない,SFのような官能である.広汎に見られる現象としては,一体感とは,たとえば長く一緒にいる相手による思想や仕草や言葉遣いの癖などが,いつの間にか自分のそれと混ざり合っていることであり,それは時によって汚染であると感じられたり交流であると感じられたりするような,相互的影響の類であり,そこに孤独はない(その交流は汎的に存在するから).孤独が存在する位相は,交流などとは無関係なところであり,それは欲情と境を接するのである.