『アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌』展(東京国立近代美術館)

に行った.大変素晴らしい展覧会であった.の上で言うが,ふたつ気になったことがあって,一つめは,ある冗長さがあったと思うのである.それは美の冗長さと言うよりはもう一歩踏み込んで真理の冗長さ(真理は定義上冗長であろう)に近い.具体的には繰り返される構図と主題のことなのだが,この展覧会はカルティエブレッソンの代表作をはしからさらっていく感じなので,冗長さは増長される.あるいはバッハのようである.個々の作品を観ながら感じたこの完璧さという冗長さは,展示の最後に放映されている映像で見られるコンタクトプリントによって再確認されるだろう.もう一つ気になったのは,対象に対する無理解が見られることである.日本や中国などアジア圏の写真において,対象の本質をえぐり出す(というクリシェはまさになにもえぐり出しはしない.本質とは何かについては考えなくてはならないが,ここで言う本質を本質主義的に捉えることは避けなければならない)ような,透徹した視線は感じられない.通常において被写体と呼ばれる限定的な対象と言うよりは,むしろその写真が撮られる状況の全体(この全体はカメラマンによって仮構されるものである)に対する理解が,どこか不足している.もちろんそこはカルティエブレッソンなので,構成はしっかりしている.完璧な作品である.ただし,写真は単なるコンポジションではないのであって,その単なるコンポジションに還元できない部分を鮮明に浮き彫りにする,大変よろしい展覧会である.