COLLOLリーディングシリーズ『ガラスの動物園』(作:テネシー・ウィリアムズ,words&direction:田口アヤコ,門仲天井ホール)

を観に行った.一つの役に複数の役者と言って思い出されるのはやはりまずはク・ナウカであり,次にはチェルフィッチュだろうか.一つの役に複数の役者を充てると言うことは,端的に言ってコンセプチュアルな営みである.ク・ナウカにおいてもチェルフィッチュにおいても,役と役者の一対一対応を解除することの意図は明白であり,効果も明かである.翻ってこの作品においては意図も効果も不明だ.なんだか分からないまま一時間半が過ぎた.ただひとつ良かったことがあって,自分は役者をやったこともないしそういう感覚はたいへん鈍いので今まではよく分からなかったのだが,役者の良さとかせりふの重みとか,が,分かった.せりふが口からするする抜けていってまったく抵抗がない役者というのは,何を言っても何を言っているのかよく分からない.言葉に何かを詰めて,摩擦を伴って発される重みのあるせりふは,聞いていてなんだか嬉しい.堂下さんのことです.もちろん,何かを詰め込まれる言葉とは,単語などではない.シークエンスであり,戯曲である.詰め込み甲斐のある言葉のシークエンスを作るのはまたこれは難しかろうとは思うが,そこはテネシー・ウィリアムズなのであった.でもってチェルフィッチュなんかはまた違う話なのだろうか.よく分からない.