『JAZZ TODAY In Komaba 2007』(東京大学駒場小空間)

に行った.友人に誘われて.誘われなければ行かなかった(プロモーターが気にくわないから)ので,誘ってくれたことに感謝.最初はDJ Moochyの演奏.編成はコンガが二人とラップトップだったのだが,ずっと,〈ほんもの/にせもの〉ということについて考えていた.この問題系はチャールズ・テイラーの『〈ほんもの〉という倫理』(2004,産業図書)にちなんでいる.この本は,もちろん,芸術学における真贋の問題とはちょっとずれる話で,〈ほんもの〉という価値観にコミットすることに希望を見いだすような話だ.そして,自分自身,それはちょっと良い感じなのではないかなと思っている.それで,音楽における〈ほんもの/にせもの〉について,いかに考えるべきかを,演奏を聴きながら考えていた.というのも,DJ Moochyは,にせものであると感じたからだ.おそらくは,コンガから「コンガの音」が出ていなかったことなどは凄く大きな問題で,でも一方で椎名林檎Coccoという,〈ほんもの/にせもの〉として凄く分かりやすい対立も分かってもらえないときがあるので,「コンガの音」なんて言っているようでは駄目なのかも知れない.そして,キップ・ハンラハン,平井玄,木幡和枝の鼎談では,〈怒り〉という言葉に大変に共感した.そうだ.そうだ.〈怒り〉の感情というのがあって,しかし,現代の若者の多くは〈怒り〉からすら疎外されているのではないか.〈怒り〉から疎外されている自らの状態に対する復讐心は,しかし,〈怒り〉から疎外されているせいで骨抜きだ.去勢だ.そんなこんなで時間がおして,大友良英芳垣安洋は怒っていたと思うのだ.少なくとも大友良英は無料公演であることも含めて怒っていたのではないか(芳垣に関しては,どんなにキツく強く音を出してもしかしどこまでもきわめて優しい,柔らかい音を出せるのは,ひょっとすると人格がそんな人だからなのではないかと妄想しているので,怒ったかどうか).とにかく出だしからテンションが高くて,もう何がなにやら,最高だった.この二人の演奏は何度も聴いているが,ほとんどベストアクトと言っていいくらいだ.音楽の〈ほんもの/にせもの〉について語ることの難しさは,音楽の魔術性にある.大友良英芳垣安洋も,音のマスの中に叙情をはらませるマジックについて,少なくともそのマジックへのアクセスについて知悉しているように思われる.そして,二人ともすさまじく素晴らしいパフォーマンスであったし,お互いに融通無碍な感じも,それをわざとぎすぎすさせる感じも,もう本当に,何が何だか分からない,マジックがあった.