鳥居明雄,1989,『鎮魂の中世』ぺりかん社

読了.感想が書きにくい感じだが,感銘を受けたあとがきの箇所を引用などしてみよう.

妙な例になるかもしれないけれども,能を観はじめてまもないある晩,「百万」のシテが舞台上から足を踏みはずし,正先の白州に落下したことをよく憶えている.しかし,その記憶は落下の光景ではなく,むしろ直後のよじ登るそれとして脳裡に焼きついている.演者が舞台によじ登ろうとした時にみせた息遣いと装束に隠された筋肉の動きとに名状しがたい生々しさを感じたその時以来,演者の呼吸に観客席の私の呼吸を自然に重ね合わせることが次第に会得されていったようだった.そして,こうした積み重ねは,また,演者の肉体と能の様式との緊張それ自体が持続と反復の独自な時空をもたらしている事態に思い至らせるに十分であった.

異分野の文章を読む時に何が面白いって,術語の違いほど面白いものはない.たとえばこの本の筆者が使う「懸垂」という語は,面白い.学問は,懸垂なのである.