ク・ナウカ『奥州安達原』(台本・演出:宮城聰,文化学園体育館特設舞台)

を観に行った.文楽で,アングラだった.臨月の妊婦の腹を切り開いて取り出した胎児をまた殺して生き血を絞る,という酸鼻を極める場面の劇的感興というのはまさに文楽のものである.その殺した妊婦が実は自分の娘であったことが発覚する,という老婆の,人間離れした劇的心境を表現するには,言語と身体は一つところにあってはならず,それぞれに分離されて抽象化されていなければ,到底表現しきれるものではない,というのもまた文楽の境地である.これは宮城聰がすでにいろいろなところで言ったり書いたりしていることなので,まぁ,そうなのだが,しかし今回のク・ナウカはそこにとどまらず(そして思い返せばク・ナウカはいつだってそこにとどまったりしたことはないのだ.どこかしらはみ出る部分があって,残念な気にさせられる),最後はアングラになだれ込む.そのアングラ演劇の部分をパンフレットに最大限寄り添って解釈するならば,ひとびとが「大きな物語」に寄りかかることなく「小さな物語」だけで充足するための祝祭,ということになるのだろうか.いや,なるのだろうか,とか言って,もう恥ずかしすぎて無理だ.演劇で政治を扱うと,どうしてこうもしょうもないことになるのだろうか.そして,政治は,どうしたらしょうもないことにならずに扱えるのだろうか.