佐野洋子,1990,『私の猫たち許してほしい』筑摩書房

読了。「100万回生きたねこ」と入力したら「100万海域種子」と変換され、もはや、いろいろどうでもよくなるなこれは。誤変換について書きたい気もするが、なんと言っても佐野洋子である。あとがきは高橋直子。源一郎さんの奥さんらしい。源一郎さんの話があとがきでたくさん出てきて、ふむ。それはともかく、最近はナイーブとか素朴とか言うことについて異常なほど考えている。明らかに、アンチ・ナイーブということを突き詰めていくと無限後退というか無限の覚醒を必要とするので、そうするとナイーブという概念には分析能力がないのではないかと思うのだが、それでも考えてしまう。そしてどちらかと言えばスライよろしく"All the naives, get out!"というような心持ちでいる。さらに、そのような心持ちでいるのはおそらく正しくないなと考える。なぜって多分覚醒はそんなに良いもんじゃあないし、そりゃあ出来れば所与・与件を肯定したいよ誰だって。さて、絵本は子どもと結びつくものなので、素朴という言葉をすぐさま連想してしまう。絵本作家の書くエッセイというのは、それこそ危ないものなのである。しかし佐野洋子さんはわたくしは大変に好きで、その危ないラインをなんとか回避している。ように思われる。読んでいて、あぶないあぶない、と思うのだが、なんとか大丈夫。ここで思い出すのは、危ないラインに余裕で踏み込んでしまう本当にナイーブな人々のことで、と、こういう書き方をすると既に射程はナイーブとか素朴とかいう概念のはるか先に設定されてしまうわけだが、とにかく、そういう人々のことを考える。で、結局は自分のことも一緒に考えている。