Habermas, J., 1988, Nachmetaphysisches Denken. Philosophische Aufsäzte, Frankfurt am Main: Suhrkamp.(=1990,藤澤賢一郎・忽那敬三訳『ポスト形而上学の思想』未來社.)

読了。語用論的転回の話が出てきた。色々読んだものがリンクされていく感覚というのは知り得ないことなど何もないというちょっとした全能感にも似て甘美だ。人文科学に携わるならば当然踏まえなければならない絶望というものがあって、まぁ絶望と言うといかにもヒロイズムで恥ずかしいのでここでは論点と言っておくけれど、有り体に言えば絶望だ。というのも、その論点は負け戦だと分かりきっているからだ。その勝ち負けに関わらず、どのように戦うべきか、どのような戦い方を構想すべきか、ということを真面目に考える本。それでハーバーマスなのでやはりコミュニケーション行為の話が出てきて、そしてそのつながりでG.H.ミードが高く評価されている。コミュニケーション的行為という概念の定式化には強く共感するが、コミュニケーションが自己目的化するのはいただけない気がする。たとえば「外国語を勉強すると外国人と話が出来る。何て素晴らしいことなんでしょう」とか言うやつはファック!なのである。そろそろというか早くもハーバーマスの論点からはずれずれである。