黒澤明監督,1954,『七人の侍』(出演:三船敏郎 / 志村喬 / 津島恵子ほか,音楽:早坂文雄,日本,モノクロ)

をDVDで観た。すげーなー面白いなー、カメラワークとかも、へー、と思いながら観ていたが、なんだろうな、ちょっと気になったことがあったのだった。それは、百姓も一方的な被害者の善人ではない、というようなくだりで、これは下手をすると「人間がよく描けている」とかいう言われ方をしてしまうのではないか。「多面的な人間描写」とか。多面と言ったって、二面か、多くても三面くらいである。しかもそれは「一面的」が単純に足し算されただけの多面性だ。この単純累加式多面的人間観は通俗フロイトと親和性が高く、同時に「反動」を生みやすいので危険だ。これは恐らくは何かを鮮やかに描き出すことにまつわる問題で、鮮やかさの反対側にはもやもや描くというのがある。上に書いた「反動」はややもするともやもや指向である。このもやもやは、途中で描写を投げてしまう演劇とか、あとは学生のやることの中に頻繁に見かける。そして「敢えて」明確に描きませんでしたなどとほざいたりするのである。もやもやにしておくと何となく何かを解決したような気もするが実は何も解決していない。というのももやもやしていると何が何だかちっとも理解も共感もした気にならないし(勝手な感情移入はあるかも知れないけど、そんなことするやつは犬に喰われてしまえ)、第一現実はそんなにもやもやしてないからだ。だから『七人の侍』はその辺りがどうにも上手すぎて鮮やかすぎて、ちょっと気になってしまったのだった。別に気になってしまっただけで、悪いことではない。めちゃくちゃ面白い映画であった。音楽もきわめてよい。