ラッセ・ハルストレム監督,2000,『ショコラ』(出演:ジュリエット・ビノシュ / ジョニー・デップ / ジュディ・デンチほか、アメリカ、カラー)

をDVDで観た。特にみるべき所はなかったように思うが、どこかひとつだけ褒めろと言われたら色彩を褒めたかもしれない。褒めなかったかもしれない。それで、カウンセリング願望なー、と思った。物語としては「純粋で、考えるより先に行動してしまうちょっとお節介な女主人公が、かたくなだった人々の心を少しずつ開いていく」というもので、そう、朝の連続テレビ小説そのものなのだ(ちなみにこれを「朝ドラ」と呼ぶひとと「連ドラ」と呼ぶひとがいるような気がする。もしかしたらどちらかは凄く少数派なのかもしれないし、他にも呼び方があるのかもしれない)。で、その連続テレビ小説を二時間の尺でやろうと思うと、それはもうカウンセリングのようだ。気に喰わないのはそのカウンセリングの道具のように使われたチョコレートのことで、我が愛するチョコレートをそのように使われるのは心外である。『チャーリーとチョコレート工場』もちょっとそうだけど、口に出して言ってはいけないことというのがある。「私は寂しがり屋です」とか言えないだろそれは物乞いじゃあるまいし、とか、まぁそういう種類のことで、チョコレートについてもなかなか言えないことが沢山あるはずなのに、それが映画でがしがし言われてしまって、チョコレートに対するロマンチシズムはもうめためただ。ただし、カウンセリング願望自体は、これはなー。これはまぁ仕方がないかもしれない。願望自体はすべからく仕方がない。頑張れ頑張れと言うけれど、もうこれ以上頑張れないくらい頑張っております、あなたのようなひとにはお分かりにならないかもしれませんが、私にはカウンセリングが必要なのです。と言われれば、まぁ仕方がないと思いはするが、それでも、じゃあその頑張ってる状態というのは仕方がないのかというと、大抵そんなことはない。本当にやむをえずそうなっている状態などというのはほとんどないのであって、極言すれば全部自分の選んだことだから、そんな状態について「癒されたい」とか言われても、はあ?という感じではあるのである。そんなに大変な状態でなくても誰かしらから全的に肯定されていいはずなのに、ある大変な状態を確保しないとその肯定される権利というのが担保されないと思ってしまうのだろうが、そんなことはないのである。