冨永昌敬監督,2006,『パビリオン山椒魚』(出演:オダギリジョー/香椎由宇ほか、音楽:菊地成孔、日本、カラー)

を観に行った。シネセゾン渋谷。なんだ、面白いじゃないか!というわけで、大変に面白かった。音の編集が特徴的である。と思って、微妙なアフレコのところとかがあったような気がしたのだが途中からそんなことは忘れていた。でたらめな、「花やしき仕様の」(チラシにそう書いてある)映画だと、そう思ってもまぁいいとは思うのだが、むしろ演劇的であるという気がした。演劇的というか、あぁいう風にぐちゃっとさせて、わけが分からないけど画面自体に魅力があって、そのままラストのカタルシスへという流れが、演劇ではよくある。それにしてもチラシの「花やしき仕様」にしても、劇中の音楽の使い方にしても、補助線の入れ方というか、解釈の下地を与える与え方が凄くうまい。そしてその補助線どおりに何も考えずに読むと間違える。そういう意味では、映像と音楽におちょくられていると言っても過言ではあるまい。それが楽しい。何らかのシークエンスや編集、映画文法と語彙、のレベルで、負荷をかけている部分というのは作家ごとに違う。長回しだのローアングルだのという手法に理論的な準拠点を設定して負荷をかける監督もいれば、カットバックやフラッシュバックこそを映画的なものとして考える監督もいるわけで(つまり観る側からしたらそこをぼーっと見過ごしてはいけないわけだ)、そういう意味では、自分にとって最大の補助線は『亀虫』を観ておいたことで、これはよかった。たとえば本を読んでいても、その著者が負荷をかけアクセントを置いている概念に無自覚に読むとバカみたいである。そんなものは知識として知らなくても注意して読んでいれば自ずと分かることが多いわけだが、それで、冨永昌敬の映画的に特徴的な部分について考えてみると、これは同世代の人間として、ちょっと、うーん。どうコース取りするかという問題だ。そういう方向性でいいのだろうか、とつい考えてしまう。とにかく現時点では面白いのでよい。いやー、面白かった。