ボリショイ劇場バレエ団『ライモンダ』(作曲:グラズノフ、指揮:ユーリー・グリゴローヴィチ、演奏:ボリショイ劇場管弦楽団・合唱団、出演:リュドミラ・セメニャカ/イレク・ムハメドフ、収録:1985年ボリショイ劇場)

をVHSで観た。今週から新国立劇場で始まる同演目、ザハロワの日のチケットを予約したら楽しみになってしまって、予習。それにしても、我が家にあったVHSに記載されていた情報が不十分だったのでネットで調べてみたら、色々な人が同じこの録画についてレビューを書いている。他のライモンダと比べたりしている。クラシックバレエのビデオを観る(そして比べる)という行為の広がりに驚く。しかしそれにしても自分にはビデオで観るクラシックバレエは凄くつまらなかった。当然といえば当然なのだが、それにしてもビデオで観る演劇やコンテンポラリーダンスよりよほどつまらない。劇場という空間(しかもバレエが上演できるほどの規模とその種の豪華さ)で生まれる高揚感や多幸感がほとんど完全に削ぎ落とされてしまっているからだろう。それでもセメニャカ(よい名前だ)の踊りは凄く良かったし、ボリショイのコールドは新国のよりも断然良い。というかこれを観ながら思ったのだが、日本人のバレエダンサー(とオペラ歌手)はなぜあんなにもったいぶっているんだ?変なシナを作っているというか、わざとらしい。踊りにしろ歌にしろフレーズに変な尾ひれがつく。戦後日本教育の成果としてクラシック音楽やまぁそのあたりの裾野が広がり、特に技術面での進歩は目覚しいものがあるとは思うものの、その裾野の広さは、実はものすごく奇矯な状況を醸成してしまったのではないか。それはそれで面白いかもしれないが。