『プライスコレクション 若冲と江戸絵画』展(東京国立博物館平成館)

に行った。しかし閉館時間を一時間勘違いしていて、45分くらいしかいられなかったのだった。まぁおかげで空いてたからよかったけど。それにしてもプライスコレクションというのは凄まじいコレクションだ。圧倒的である。若冲あり抱一あり其一あり、応挙に蕭白、芦雪まで、本当に枚挙に暇がないとはこのことだ。まぁここに展示された江戸絵画のデザイン性の高さとか何かそんなことに関してはもう書かなくてもいいと思うのだが、各地で話題となっていた(多分)あの大胆なキュレーションに関してはちょっと書いておこう。江戸時代のろうそくあるいは行灯の光というのは現在の照明とはちがって揺らめいていただろう、当時の光を再現しよう、ということで、今回は一部の展示において照明の明るさが変化するような細工がしてあるのである。感想としては、それが当時を再現しているかとかなんかそんな対応説的な真理論にはまったく頓着しないままに、単純に見た目がころころ変わるのは凄くエキサイティングであって、むしろ一定した光の下においておくのはある種の暴力なのではないかとさえ思った。というような土産話を持ってなじみの飲み屋に行ったら、その場にいたギョーカイの常連さんが言うには、「自分は昔テレビの仕事でそういう江戸時代のことについてちょっと調べたことがあるんだが、その展覧会で言ってるろうそくやら行灯やらというのはウソだ。昔はほとんど日の出とともに生活していて、今の夏の時期だったら出仕は朝の5時6時だっただろうし、逆に言うと家に帰るのは午後の3時くらい。しかも綺麗な屏風やら襖やらが置いてあった場所というのは大抵どこでも庭にすぐに面した部屋であって、照明と言えば自然光の間接光だけだったはずだ。吉原だって中にいればまた別だけど、木戸をくぐれるのは夜の10時くらいまでだったんだから」とのこと(ほかにも役所を24時間営業にすると全てがうまくいくという地軸変更計画みたいな話とか面白い話が山ほどあったが関係ないので割愛)。この話が本当かどうかはまた置いておくにしても(結構信じてしまっているのだが)、そう、そうなのだ、今回の展示はろうそくのゆらぎを再現しようとしたのか、光の具合が変わる周期が20秒くらいで、なんだかせわしなかったのだ。変化させるならさせるで、逆に凄く長い周期でやったりしたら、結構感心したかもしれない。来る時間によって見え方が変わると言うのであれば、それはなんともロマンチックではないか。