劇団地上3mm『私の副流煙を吸って』(作・演出:川口典成、出演:堂下勝気(怪童堂)/本田幸男(第七病棟)ほか、pit北/区域)

を再び観た。初日より断然素晴らしかった!大変にいろいろかみ合っていた。即物的にテクニカルな面では減点すべき箇所がかなり少なくなっていた(クラシックで言えば楽譜どおりに演奏できるようになってきたというくらいの感じ)ので、いよいよ作品として勝負しなければならない土俵に上がってしまったのだろう。だとすれば、足りないのは筋だ。すじ。今回の(そして今回までの)芝居では、デコラティブな引用と目配せはあっても筋はほとんどないに等しい。あらゆる作品が(特に小説であるが、戯曲も)完全にトランスフォームされたtotally transformed経験だとすれば、この芝居においてそれは完全ではなく、未消化である。そして何より、その経験は演劇を受容した経験ばかりであって、その結果として演劇というジャンルに対して過剰に自己言及的な演劇作品になっている。さまざまな観劇経験から「この作品のここは使えそうだ」という部分を大変上手に(と同時に拙く)自分の作品に盛り込むばかりで、筋がない。演劇というメディアを脱構築しようという意図でもないかぎりは、筋がなければ駄目だ。筋なしで勝負するのであれば、圧倒的な経験と知識から磨き上げた圧倒的に構築的な構造を提示できなければならない。そしてこれは最高度のウェルメイドでなければならないはずで、とうてい力技で何とかなる類いの仕事ではない(余談だが昨今のオペラ演出のなかでもよくできているものはこちらの部類に入るだろうし、ポツドールの近作も同様に判断してもいいかもしれない)。だとすれば、この「引用上手」とも言える小賢しい現状からは離脱しなければならない。今回の作品に至るまで、何かがまとまりつつある印象を受ける。何がどうまとまろうとしているのか。ひょっとするとおそろしくつまらないところに着地してしまうのではないか。いや、おそろしく面白いかもしれないが。