ベルトルト・ブレヒト作『母・肝っ玉とその子供たち―三十年戦争年代記』(演出:栗山民也、翻訳:谷川道子、音楽:パウル・デッサウ、美術:松井るみ、衣装:ワダエミ、出演:大竹しのぶほか、新国立劇場中劇場)

の総舞台稽古を観に行った(どうでもいいけど総舞台稽古という言葉は「超合金」のような重みがあって素晴らしい。要するにGPなのだが。)。舞台はいきなりかっこよい。一角がピットのようになっていて、生演奏つき。というか歌いまくっていた。ミュージカルみたいだった。劇の付随音楽、ということらしいが、なんともかっこよい。編成はピアノ、パーカッション、弦バス、ヴァイオリン、トランペット、クラリネット(サックスも)だったはず(聴いた感じ)。で、とてもかっこよい。なんとも浅薄な言い方だが、生演奏はよい。ブレヒトで異化効果がうんぬんみたいなことはもはや既に古典と言えば古典であるし、ブレヒトが溶かし込まれていない演劇を現代どこで観られるのか見当がつかないぐらいだが、そのせいか結局非常に没入してぼろぼろ泣く。長女が太鼓をたたき続けるところは、あの長女役が松たか子でなくてよかったと思った。誰か知らない役者さんだったおかげで、非常によかった。あの太鼓はレイプの記憶であると同時に、唖である長女が何事かを明確に伝えうる、まさにその爆発、まさにデリダが言う意味での爆発であった。あぁ、思い出しても泣きそう。ところで、演劇がなぜ政治性にコミットしようとするのか、その姿勢をずっと不自然に感じてきたのだが、淵源はひょっとするとブレヒトなのかもしれないと思った。今回の演出はいやらしすぎずブレヒトの脚本にも呑まれず、そこそこがんばっていると思った。翻訳は普通によい。衣装はかっこよい。ワダエミさん凄い。色が綺麗な衣装だった。大竹しのぶはさすがの安定感だった。歌も上手だった。